サンクトペテルブルク


【概要】
サンクトペテルブルクは、レニングラード州の州都。かつてロシア帝国の首都であった。第一次世界大戦以降(1914年-1924年)はペトログラード、ソ連時代(1924年-1991年)はレニングラードであった。

ロシア西部、バルト海のフィンランド湾最東端、ネヴァ川河口デルタに位置する。ロシア有数の港湾都市であるとともに、鉄道・国際航路の要衝でもあり、モスクワに次ぐロシア第2の都市である。行政上はモスクワとともに連邦市を形成しており、ロシア連邦を構成する83連邦構成主体のひとつとなっている。

市中心部に運河が縦横に巡る美しい街並みを有することから、「北のヴェネツィア」と称されるこの街は、ヨーロッパで最も美しい都市の一つに数えられている。


【見所】



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1.エルミタージュ美術館 【世界遺産】

チケット(表、裏)

ロシアの国立美術館。 1990年に世界遺産(サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群)に包括登録されている。小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場、冬宮の5つの建物が一体となって構成されており、現在本館となっている冬宮はロマノフ朝時代の王宮である。

1764年にエカテェリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったのが、エルミタージュ・コレクションのはじまりである。

1917年のロシア革命後は貴族から没収されたコレクションの集積所となった。1918年には冬宮に存在したすべての研究、管理組織を建物ともどもエルミタージュ美術館として統合することが決定され、この統合作業は第二次大戦後に完了した。

(1)小玉座の間(The Small Throne Room)
   小玉座の間はピョートル大帝にちなんでつくられたため、ピョートルの間とも呼ばれており、もともと、謁見のために用いられた部屋。

(2)大玉座の間
   このホールは小玉座の間と比較され、大玉座(The St. George Hall
)の間と呼ばれている。壁はイタリアから特別に輸入した、カララ産の白い大理石がふんだんに用いられており、床はカラフルな寄木細工で、その模様と同じものが天井にも銅版で作られている。

(3)パヴィリオンの間
   床は古代ローマのモザイク画が施されている。す

(4)孔雀石の花瓶
   光沢のある緑色の孔雀石(マラカイト)の花瓶。

皿などの装飾品もたくさんあった。

各展示室は立派で、通路もゴージャスです。
以下、エルミタージュ美術館の絵画コレクションの一部を掲載しました。絵を左クリックするとサイズが大きくなります。

Cezanne 『Lady inblue』 1900

Cezanne 『Self-portrait』 1873

Cezanne 『Smoker』 1892

Frans Hals 『Portrait of a Young Man』

Gauguin 『Woman holding a fruit』 1893

Gogh 『Memoryof the garden at Etten』 1888

Gogh 『Thatched cottages』 1890

Titian(Tiziano Vecellio) 『Danae』 1772

Matisse 『Family Portrait』 1911

Monet 『Poppy field』 1887

Picasso 『Musical instruments』 1912

Picasso 『Tree Women』 1908

Picasso 『Two sisters(the visit)』 1902

Rembrandt 『Portrait of a Schclar』

Renoir 『Lady in black』 1876

Renoir 『Portrait of the Actress Jeanne Samary』 1878

フラ・アンジェリコ『聖母士と天使達』

ラファエロ『聖母と髭無しのヨセフ(聖家族)』Holy Family 1506

Jacopo Tintoretto(Jacopo Robusti) 『The birth of Saint John the baptist』 1772

Francisco de Goya 『Portrait of Antonia Zarate』 1811

Hendrik Goltzius 『Adam and Eve』 1608

Michelangelo 『The Crouching Boy』 1530-1534 逆サイド(後ろ)からの写真





2.エカテリーナ宮殿 【世界遺産】

サンクトペテルブルク中心部から南東25kmの郊外プーシキン市の避暑地ツァールスコエ・セローにあるロシア帝国時代のロココ建築の宮殿。エルミタージュの冬の宮殿に対して、夏の宮殿と呼ばれている。

宮殿の名前は、ピョートル大帝の后でもあった、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世に由来する。エカテリーナがドイツの建築家Johann-Friedrich Braunsteinを雇って夏の避暑用の離宮として1717年に作らせたのが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝アンナがロシア人建築家に命じて増築させた。第6代ロシア皇帝となったエリザヴェータは母のエカテリーナが建築させたものが時代遅れで不便であるとして抜本的に作り直すことを決定、壮麗・壮大なロココ調建築に入れ替えるよう、既に冬宮殿建設に関わっていた宮廷付き建築家バルトロメオ・ラストレッリに命じた。建設は1752年から4年の歳月をついやし、1756年に全長325メートルの現行規模の宮殿が完成した。

琥珀の間が有名。琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られたが、1979年から始まった復元作業により、2003年に完全に復元された。

1791年、日本人の漂流民大黒屋光太夫が帰国を願うため、エカテリーナ2世に謁見した場所としても知られる。

各部屋は絢爛豪華で、調度品(1,2,3)、壁の絵(1,2,3)、寄木作りの床など素晴らしかった。寒いロシアらしく、多くの部屋にペチカがあった。ペチカはオランダのデルフト焼きだそうだ。
 
3.ピョートル大帝夏の宮殿の庭園

サンクトペテルブルクの西、約27キロにある。
ピョートル大帝がスウェーデンとの北方戦争勝利を記念して建てた離宮。庭園内には、たくさん(約150)の噴水が点在している。全長22キロに及ぶ配水管で、ポンプを使わず全て自然の傾斜を利用した噴水となっている。

宮殿内に博物館があったが、撮影禁止だった。博物館前でロシア人と一緒に写真を撮った。
 
4.聖イサク寺院

サンクト・ペテルブルク中心にあるロシア正教会の大聖堂。ドームは全高101.5メートルの偉容を誇る。14,000人を収容できる聖堂は、世界で3番目に大きいといわれている。

ロータリーの中心には、ピョートル大帝の騎馬像がある。

ピョートル大帝の時代にワシリエフスキー島に初代の「聖イサク教会」が建設されたのが起源とされる。その後、1717年に元老院広場(現在のデカブリスト広場)に移ったが、軟弱な地盤に加え、落雷によって焼失した。 エカテリーナ2世の勅命でイタリア人建築家アントニオ・リナルディにより再建事業が開始されたが、未完成に終わり、パーヴェル1世が事業を引き継いだ。 現在の聖イサアク大聖堂はアレクサンドル1世の時代に建造されたもので、フランス人宮廷建築家オーギュスト・ド・モンフェランの設計による。モンフェランの監督下、1818年から1858年まで、40年の長きに工事が行われた。ロシア革命後は、ソビエト政権の下で博物館となった。他のサンクト・ペテルブルクの建造物同様、第二次世界大戦に危機に見舞われる。独ソ戦におけるレニングラード包囲戦では、聖イサアク大聖堂の黄金のドームはドイツ軍にとって絶好の標的と成り得たため、ソ連側はドームを灰色に塗装し直した。 ソ連崩壊後、大聖堂としての活動を再開し、祭日における奉神礼が行われている。

近くに、青銅の騎士と呼ばれるピョートル大帝の騎馬像がある。
 
5.血の上の教会

ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺されたのを弔うために、アレクサンドル3世によって建設された。建設資金は、帝室であるロマノフ家のほか、広く一般の献金によってまかなわれた。工事は1883年に着工されたがアレクサンドル3世在位中には完成せず、次のニコライ2世の治世に入って13年目の1907年に完成した。カラフルな玉葱型の屋根が特徴。
 
6.王宮広場

冬宮殿は、サンクトペテルブルクにあるかつてのロシア帝国の宮殿である。冬宮(とうきゅう)ともいい、ロシア皇帝の冬季の王宮[1]として1754年~1762年の間に建設された冬宮 サンクトペテルブルク建築家はバルトロメオ・ラストレッリで、緑と白の石材を用いたロココ建築は1,786のドアと1,945の窓がある。宮殿の北側はネヴァ川に面し、南側には宮殿広場が広がる。帝政時代は王宮として機能し、最初に使用したのはエカテリーナ大帝‎(在位:1762年 - 1796年)。 レフ・トルストイによる小説『戦争と平和』に描かれる1812年ロシア戦役前後のロシア宮廷の舞台の一つである。ロシア二月革命による帝政廃止後は臨時政府(首相:リヴォフ公、後にケレンスキー)が置かれた。十月革命においてボリシェヴィキが突入し臨時政府のメンバーを逮捕、臨時政府庁舎としての役割を終える。ロシア革命期の宮殿については、ジョン・リードの著書『世界を揺るがした十日間』(Ten Days that Shook the World)および同書を原作とした映画「レッズ」に描かれている。十月革命後、建物はエルミタージュ美術館の本館となった。同宮殿はエカテリーナ宮殿などのその他の建築物とその周辺とともにサンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群として世界遺産に登録されている。
 
7.スモーリヌイ修道院

ネヴァ川河畔に広がる公園の中に、スモーリヌイ修道院と寄宿学校が建っている。この学校は、19世紀初め、エカテリーナ2世によって貴族の令嬢たちの女学校として建てられた。
 





8.その他

(1)モスクワ広場にあるレーニン像

   旧レニングラード市議会前の広場にはレーニン像が立っている。

(2)凱旋門
   町中心部への入り口。

(3)モスクワ駅前広場のオベリスク
   ソ連時代の記念碑だそうだ。



【交通】
1.地下鉄

サンクトペテルブルク中心部の地下鉄の入り口はこんな風になっていた。
2.路面電車

サンクトペテルブルクの中心部では、路面電車網が発達している。かっては、世界一の規模を誇っていた。運転席は前方にしかなく、終点で方向転換する。

また、トロリーバスもたくさん見かけた。
3.鉄道

特急列車で、サンクトペテルブルクからモスクワへ移動した。
サンクトペテルブルクには主な駅が5つあり、モスクワに行くにはモスクワ駅から乗車する。目的地が駅名になっているのは面白いが、駅が相互乗り入れしていないのは、不便だと思う。

駅構内はこんな感じ、路線図や時刻表があった。

15:15発の新型車両『サプサン』(ハヤブサの意)でモスクワに向かった。車両中央の席にはテーブルが付いていた。中央部の車両にはカフェがあり、コーヒーを飲んだ。
約4時間でモスクワのレニングラード駅に到着した。
4.観光バス

参加者が少なかったのに大型バスだったため、1人2席使うことができ、ゆったりとしていた。


【ホテル】
1.Park Inn

ホテル自体は良かったのだが、泊まった部屋の下がちょうどレストランになっていて、深夜まで音楽がうるさかった。『やかましい』とフロントに言ったところ、部屋を変えると言われたが、荷物をまとめて移動するのも大変なのでレストランの営業が終わる1:00a.m.まで我慢した。翌朝、チェックアウト時に、ホテルのマネジャーを呼んで文句を言っておいた。

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